紅葉を求めて京都へ。東京で楽しむとはまったくちがう紅葉を見に。
■三千院
8:30の三千院の開門に合わせ7時にホテルを出て京都バスで大原へ直行。
三千院ってなあに?お寺?神社?
三千院は門跡寺院といって代々皇族が住職だったお寺。 もとは8世紀、最澄が比叡山延暦寺を建てたときに梨の木の下に結んだ庵が始まり。平安後期には皇族が入寺するようになったとのこと。最澄なので天台宗だね。
三千院の名の由来は「一念三千(いちねんさんぜん)」という天台宗の教えから。心のわずかな働き(一念)の中にも、この世のあらゆる要素(三千)が備わっている、という意味。
朝の寺院は射し込む光もすがすがしく気持ちのよい散歩。
平安時代の往生来迎院という小さいお堂の釈迦三尊像が印象的だった。
阿弥陀如来像はふっくらとしていて、脇侍の観音菩薩と勢至菩薩が正座から少し腰を浮かせた大和坐りという姿勢になっている。いつでも往生する人を迎えにいけるようにということらしい。
やさしいお顔の阿弥陀如来さんに連れられてこんなにきれいなところへ行けるのなら死ぬのも怖くないと思えそうだよ。
寂光院を出ると、門前に簡素なつくりのお漬物やさんを発見。
■宝泉院
つぎは宝泉院。1994年JR東海「そうだ京都行こう」のポスターになった額縁庭園と血天井で有名なお寺。額縁庭園は左に樹齢800年の五葉松、右手は竹林越しに大原の山並み。
拝観料800円にお菓子と抹茶代が含まれていて、額縁庭園を見ながら一休み。人も多いけど一服したらみな次の人に席をゆずるのでストレスはなし。
もうひとつ有名なのが血天井。関ヶ原の戦いの前に、伏見城で徳川家の家臣300人以上が自刃した。供養のためにその血に染まった伏見城の床を剥がし、いくつかの寺院の天井の板としておさめた。
すごい発想だな。。知らずに行ったので供養とはいえぎょっとした。天井のしみは、言われてみれば、ハイ・・・となるくらい。
■実光院
実光院は入り口に不断桜が咲いていますと書いてあったので紅葉と満開の桜が一緒に見られるのかと入ってみたが桜は一部咲きくらいでちょっとがっかり。
でも声明(仏教の賛美歌と言われる)の練習に使う聲石という石でできた楽器が置いてあって叩くことができた。ちゃんと音階になっていたよ。小さな鉄琴のようなきれいな音。
庭の向こうに見える山はなんだろう。比叡山の方角ではないし。聞いてみたら翠黛山(すいたいさん)という名前だった。
■勝林寺
昔はこちらが大原の中心だったそう。
浄土宗をひらいた法然が1186年に天台宗の招きで浄土宗について高層たちと問答をした。法然は高僧たちの質問に明確に答えたのでみな信服し3日3晩念仏を唱えたという。
このときあみださまが手から光明を放ち法然が正しい証拠を示したことから「証拠の阿弥陀仏」と呼ばれている。
写真だと見えにくいけど、ここのあみださまの手からはお堂の入り口まで紐が伸びていてお参りに来た人はあみださまとつながることができる。すてき。
■後鳥羽天皇・順德天皇大原陵
すぐ近くに後鳥羽天皇・順德天皇の陵があった。山科の天智天皇の陵を通ったときも思ったけど関東に住んでいると歴代の天皇がこのように葬られているというのも知らなかった。
後鳥羽上皇や順徳天皇なんて承久の乱の人たちだよね…すごい。気が遠くなる。だから京都は好き。
■寂光院
聖徳太子が母をとむらうために創建したと伝わる。『平家物語』で有名になり、平清盛の娘・建礼門院が終生を過ごしたことで知られる。
建礼門院は1185年に壇ノ浦の戦いで助けられ、都に戻され出家。その後、寂光院の傍らの小さな庵で滅亡した平家一門と子の安徳天皇を思って日々を過ごした。
境内には、平家物語にちなむ庭園があり祇園精舎の鐘もある
この写真きれいに撮れたのでこのカップルに送ってあげたい。
印象深かったのはこじんまりとしつつもかっこいい門。
しば漬けの元祖が寂光院なんだそう。いくつか試食をしたらうす塩でやや酸味もあり母親の好きそうな味だったので、すぐきと柴漬けと梅干しを買った。
レターパックで送ったらすぐきを気に入ったようで次回からの指名となった。やっぱりのう。しかし店舗がここだけなので今後は通販を利用するかな。
寂光院から大原バスターミナルへの道。さとやま。
ホテルに帰り、鴨川経由で宝ヶ池までジョグ。秋色の鴨川。
宝ヶ池についたら日が暮れた。
夜は立ち飲みのココロで夕食。ここの店長さんは酔客の扱いに慣れており、絡むような人にはすぐさま関西らしい遠慮のなさでイエローカードを出すので一人でも安心して飲める。そして焼き鳥と刺し身があるのでついつい足が向いてしまうのであった。
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